「医師採用戦国時代」で、彼はすでに勝っていた──6年前のスライドを、いま読み返す

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第67回全日本病院学会in埼玉 ランチョンセミナー 演者インタビュー 本記事は、2026年9月13日(日)開催の共催ランチョンセミナー「『医師が自ら集まる病院』を作るには」に登壇される、利根保健生活協同組合 利根中央病院 医局事務課長・丸山和希氏へのインタビューです。セミナーに先立ち、その実践の一端をお届けします。

私の手元に、1本のスライドがあります。2020年12月、病院マーケティングサミットJAPANの「医師採用戦国時代 〜人財確保のNewNormal〜」というセッションで発表されたものです。演題名からして、もう只事ではありません。

「自分自身が“広告塔に”〜足軽事務職員の成長記〜」

発表したのは、医師ではありません。医療資格も持たない、一人の病院事務職員。利根中央病院(群馬県沼田市)の、丸山和希さんです。

いま読み返して、驚きます。医師採用に悩む病院が、2026年のいま、ようやく気づき始めていることの多くが、6年前のこのスライドに、すでに書いてあるのです。

この「医師採用戦国時代」というセッションには、私も登壇者の一人として加わっていました。あの日から6年。丸山さんとスライドを開きながら、「あの頃、何を考えていたのか」を伺いました。──そして、この6年で何が変わったのかは、9月13日の全日本病院学会で、ご本人が話します。

利根中央病院(群馬県沼田市・253床・沼田&吾妻医療圏で唯一の総合病院)

2020年スライド時点:常勤医 62名/救急車 約2,200台/年(2次医療圏の約50%)/初期研修 6名/年

そして2026年:常勤医 72名(出向者を含む)。最大勢力は総合診療科の16名

※2020年の数字は同年12月のご発表スライド、2026年の数字は第67回全日本病院学会 登壇予定スライドより

1. 6年前、同じ舞台に立った日

紀平
丸山さんと初めてお会いしたのは、2019年でした。病院マーケティングサミットの、懇親会です。覚えているのは、名刺交換ではありません。その翌日、Facebookの友達申請が届いたことです。
丸山
送りましたね。
紀平
懇親会の名刺は、たいてい名刺のまま終わるんです。翌日に動く人は、ほとんどいない。行動の早い方だな、と印象に残りました。──そして翌2020年、同じサミットの「医師採用戦国時代」というセッションで、丸山さんはあのスライドを発表された。あの年はZoom配信でしたから、私は座長として、画面越しに聞いていました。
丸山
あのときは、まさか6年後にこうして記事にしていただくとは、思っていませんでした(笑)。
紀平
本当に、まさかでしたよね(笑)。あの発表は、私の中でも、とても衝撃的だったのを覚えています。私も病院人事の時代──Mixiの頃からですが──SNSで全国の医師とパイプを作ってきた側の人間です。だからこそ、断言できます。総合診療に関する丸山さんの人脈は、当時から、異次元でした
丸山
Facebookのつながりは、2021年からの数年だけでも、662人ほど増えました。
紀平
数の話ではないんです。その中身が、総合診療の指導医と、医学生と、研修医で、出来ている。──ここが、丸山さんの凄みです。
紀平
その丸山さんの経歴が、また変わっているんです。もともと、利根中央病院の調理師さんですよね。
丸山
はい。栄養課で、厨房に7年いました。2011年に、新設された医局事務課へ異動になったんです。
紀平
厨房から、医師の採用担当へ。──これは、打診されたとき、どう思われたんですか。
丸山
厨房も人手が足りず、メニューに制限をかけている状況でした。ただ、「自分で力になれるなら」とは思っていました。異動日が月の中盤で、その月のシフトが組まれたあとだったので、現場には多大な迷惑をかけたと思いますが。
紀平
危機の年でした。大学医局の引き上げで、60名を超えていた常勤医が30名台まで落ちて、研修プログラムも崩れた。その立て直しの一手が、医局事務課の新設だったわけですね。
丸山
はい。そのタイミングで、たまたま私が呼ばれた、という形です。
紀平
厨房から人を入れる。──連載①の一宮西病院も、危機の年に、外から営業マンを入れました。組織を変えるのは、いつも「異質な人」なんです。

2. スライドを、開いてみる

紀平
では、その2020年のスライドを、読者と一緒に開いてみます。まず、いちばん最初の問題設定に、唸りました。臨床研修の医師を採るとき、普通は「全国の医学生」を狙いにいきます。
丸山
1学年で9,330人。ですが、病院の名前を知ってもらいたい相手は、その6倍──全学年で6万人近い医学生です。うちのような地方の病院が、それだけの数に、どうリーチするか。そこでFacebookが、有益なツールでした。
紀平
そこで丸山さんは、Facebookの使い方を、二段構えにしていた。まず、病院の「研修センターページ」ですね。
丸山
はい。病院のFacebookページで発信して、医療系のいろいろなグループでシェアするんです。そうすると、直接面識のない人にまで、情報が届く。ここは、情報を「届ける」ための場所。まずは、当院の名前と取り組みを、広く知ってもらうための入り口です。
紀平
そして、その効果を、当時からきちんと数字で追っておられる。合同説明会のブース来訪者数、実習・見学の件数、マッチングの受験者数──Facebookでの発信を境に、どれも動いている。あのグラフを、6年前に作っていたことに、私は驚くんです。
丸山
当時から「数」は意識していました。ただ、どこで当院を知ってくれたのかが、掴めなかった。それで、説明会の来場者アンケートに「当院をどこで知りましたか?」という項目を作ったんです。そこで、Facebookでの発信の効果を、実感しました。
紀平
病院ページで、広く「届ける」。その上で、もうひとつの軸が、丸山さんご自身の個人アカウントでした。スライドには、こうあります。

facebookは名刺代わり/投稿を通して”自分”を売り込む・知ってもらう

2020年12月 ご発表スライドより

丸山
個人アカウントのほうは、完全に「名刺代わり」です。オン・オフ問わず、自分の取り組みや興味関心を知ってもらう。すると、似た嗜好の方とつながったり、紹介いただいたりする。日々の投稿を通して、”自分”を売り込んでいくんです。
紀平
組織の看板と、個人の顔。役割が、はっきり分かれているんですね。
丸山
そうです。ただ、最終的なゴールは、利根中央病院という名前を、認知してもらうこと。そのための入口として、自分に何ができるか──そう考えた結果が、この二段構えだったように思います。

3. 「自分自身が“広告塔に”」

紀平
「自分自身を知ってもらう」。その考え方が、いちばん濃く出ているのが、スライドのタイトルなんです。「自分自身が“広告塔に”」。締めくくりは、アパレル店員の話でした。

アパレル店員の多くは、そのブランドの服を身に付けて仕事をする。自らが広告塔となり、ブランドイメージを向上させる役割もある。

2020年12月 ご発表スライドより

紀平
事務職員が、病院の「広告塔」になる。──6年前に、ここまで言い切っていた事務の方を、私は他に知りません。
丸山
医師の就職や転職では、知人がいる、あるいは知人からの紹介、というのが大きな要素です。ただ、病院に知名度やブランド力がないと、影響力のある医師が離れたときに、そのつながりも一緒に失われてしまう。自分自身がメディアになることは、その予防線でもあったんです。
紀平
この「足軽が、自ら広告塔になる」という発想。これは、いまの医師採用の世界が、ようやく追いついてきた考え方なんです。連載①の松田病院は「言葉」で、同じ場所に辿り着きました。丸山さんは、6年前に「自分が広告塔になる」という形で、すでにそこにいた。

4. では、この6年で、何が変わったのか

紀平
ここからは、あえて詳しく書きません。2020年のスライドが「これだけ」だったとしたら、この6年で、丸山さんはそれを大きくアップデートしています。
丸山
自分の役職が変わったこともありますが、新専門医制度や、医療圏のなかで当院に求められる役割の変化など、外的な要因も大きく影響していると思います。
紀平
数字だけ、置いておきます。2020年に62名だった常勤医は、いま72名(出向者を含む)。しかも、その最大勢力が、総合診療科の16名です。かつて大学医局に医師を引き上げられた病院で、いま何が起きているか──その答え合わせは、9月13日の会場で。
丸山
そこは、当日、お話しします。
紀平
ひとつだけ、私の感想を。丸山さんのやり方は、潤沢な予算のある病院の話ではありません。253床の地方病院が、頭と足で作り上げた方法です。2020年のスライドが「序章」だったとすれば、9月13日は、その「続き」なんです。

5. しんどかったことと、これから

紀平
復活の物語には、必ず、しんどい時期があります。厨房から医局事務課に移られて15年。一番折れそうになったのは、いつですか。
丸山
栄養課の時代から、NSTなどで医師と話す機会はあったので、医師と関わること自体に抵抗はありませんでした。ただ、医局事務になった途端、教育や採用の共通言語がなくて、話についていけない感覚があった。異動してから3年くらいは、マッチングでも成果が出ず、厳しい時代でしたね。
紀平
これからは、何をしていきたいですか。
丸山
医療圏で唯一の基幹型臨床研修指定病院、総合診療専門研修プログラムの基幹施設として、地域医療に合流してくれる医師を増やしたい。そのために、県内外を問わず、いろいろな大学や市中病院、組織とのネットワークを広げたいと考えています。特に、研修や採用に携わる事務の方と、つながりたいですね。
紀平
「合流」という言葉が、いいですね。医師を奪い合うのではなく、地域医療という同じ流れに、合流してもらう。──2020年のスライドで蒔いた種が、いま、大学や市中病院、そして全国の事務職員へと、つながりを広げている。その現在地を、ぜひ9月13日の会場で聞いてください。

2026年9月13日(日)|第67回全日本病院学会 in 埼玉 共催ランチョンセミナー

丸山さんには、9月13日(日)の第67回全日本病院学会 ランチョンセミナーにご登壇いただきます。演題は「大学医局引き上げからの復活劇──選ばれる病院になるために」。本記事で読み解いた2020年スライドの「続き」──この6年のアップデートは、すべて当日、丸山さんご自身の言葉で語られます。

一宮西病院(愛知県一宮市)の前田昌亮さん、松田病院(宮城県仙台市)の佐竹直也さんにもご登壇いただきます。思想の人、言葉の人、そして足の人。三人が三様の道で辿り着いた「選ばれる病院」の作り方を、会場でお聞きください。

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